MSに燃え尽きてしまっては正直困る

PC Watch燃え尽き症候群のMicrosoft。Vista改善の方向は示さず」を読んで、確かに共感するところがあり、PCに依存した自分の生活の将来に多少の不安を感じた。


僕はMSが嫌いだ、Appleが好きだという議論には興味がない(以前はあったけど)。ただ、PCという仕事や生活を便利にするプラットホームには、おそらく人並み以上に依存していて、日々その恩恵を受けていると思う。


OSはVistaMacOS Xも試したがWindows XPに落ち着いている。使い慣れたPCやソフト、周辺機器が使い続けられるし、新しい製品もほぼ間違いなく対応しているからだ。それ以上もそれ以外もない。別にMacOS Xになってもいいのだが、ハード・ソフトの買い換えにお金がかかるし、今メインで使っているLet's Noteと同等以上のモバイルPCが出てくる可能性も低い。(要するにGoogleが手を出してない「こっち側の領域」で困ることが多い)


なんだかんだで僕も、おそらく多くの人もMSに依存してしまっているわけだが、その将来の雲行きが理解できる形で怪しくなってきている。

あらゆるWindows開発者の意志を統一し、各種機能の実装に関して意志を統一し、最善の実装を導くことは大変に難しいことだ。たとえば何らかの設定を行なう操作性ひとつを取ってみても、ユーザーインターフェイスの組み立て方をすべて統一するのは難しい。

カリスマであったゲイツ氏に代わり、Microsoft全体の進む方向を示す人物を、Microsoftは見つけることができるのだろうか。

もちろん、MSに代わる存在が現れることがあれば、そこには今まで以上に「使える」何かがあるだろう。ただ、そこに世の中が移行するには、かなり切り捨てなければならないものが多く存在すると思う。後ろ向きな考え方だけどPCに「最適化」した自分の生活を変えるのは、正直惜しい。